03

 誰が為の桜か、それを知る者はない。ただ、桜は其処で待っていた。花びらが全て散り落ちても、吹雪に吹かれてしまっても、ずっと。ただ銀色の月を眺めて、たった一人、あのひとを待ち続けていた。
 もう何度、月の満ち欠けを見ただろう。いつもとなりにいたはずの彼のいない丘の上で、桜はひとり、ずっとずっと、空を見上げていた。大嫌いな銀の月に祈りさえも捧げた。どうかお願い、となみだを流し続けていた。そして、ようやく彼は帰ってきた。

「嗚呼、今宵の月は、美しいね。」

 その日は、丸い銀の月が空に浮かんでいた。銀の月は、彼の愛する街を見下ろしている。まるで、見張っているみたいだ、と桜は思う。この街で消えていく命を、生まれていく命を、芽生える感情を、過ぎていく時間を、なにもかもを、この月はきっと、見張っている。

「僕は、この街を守れたんだね。」

 穏やかな声で彼は言う。ええ、と桜は答える。銀色に煌めく花弁が、舞い落ちていく。

「……良かった。」

 安堵したような、柔らかな声。桜が想いを寄せ、長く待ち続けた優しい優しい彼の声。銀の月に照らされたその身体は、ひどくぼやけて見えた。
 溶けてしまう。桜は、思う。

「嗚呼、美しい……。」

 彼は月を見上げた。街を見張るその月を。きっと今、こうやって寄り添い語らう二人の姿も見張っているその月を。月はあまりにも美しく、そして同時にひどく冷酷でおそろしく見えた。月は、桜と、彼を、ただ見つめている。

「もう、思い残すことなど、何もない……。」

 桜は何も言えなかった。ただ、花弁を降らすだけだった。何か言おうにも、散り落ちる花弁が邪魔をして、ことばを発せなかった。隣に確かにいるはずの彼は、あまりにも儚くて、悲しくて。花弁は降り続く。ことばをもたぬ桜の、想いのすべてが籠った花弁。

「……ねえ、君。」

 ふわりと彼の体が倒れ込む。桜には腕がなかった。だから、崩れ落ちる彼の体を支えることが、抱きしめることが、できなかった。彼の体は赤く染まり、顔は青白い。息も絶え絶えに、彼はそっと桜に寄りかかり、囁く。

 「――――。」

 桜は、花弁を降らす。